退院
こんにちは、心子です。
2017年3月の備忘録です。
<2017年、3月16日>
点滴が外され、食事は全粥になりました。リハビリ室に通うことになりました。8階病棟からエレベーターに乗って1階のリハビリ室へ行くまでに息が上がらないように、理学療法士さんと歩いて行きました。健康な理学療法士さんに申し訳ないほどゆっくり歩行でした。普通の人の速度で歩くことすら出来ない状態でした。
<2017年、3月17日>
採血、心電図、レントゲン、栄養指導、リハビリ
メモ帳に数値だけが書き残してありました。単位はわかりません。
採血だけで随分と色々なことを判別できるのですね。
・BNP: 865.5 (まだまだ心不全状態まっただ中です。)
・CPK: 44 (心筋炎や心筋梗塞の心配はなさそうです。)
・CRP: 201 (体内に炎症あり、おそらく胸骨切開術からでしょう。)
<2017年、3月18日>
ホルター心電図が外されました。携帯ラジオのような記録機?が、体から離れただけでとても身軽になった感じでした。もう体には何もついていません。ちょっとウレシイ♪
本日よりシャワーOKとなりましたが、体を洗うだけで息が上がりました
たかがシャワー、されどシャワー。まだまだ日常生活には不安がいっぱい状態でありました。
<2017年、3月22~24日>
利尿剤と測尿と水分摂取規制に苦戦。
リハビリは、負荷15Wのエルゴメーターを6分。
地味だけど、病棟からリハビリ室までの往復がすでにリハビリのよう。
20日、米飯となりました。シャワー、ゆっくり動けばなんとかなりそう。
21日、採血。BNPは736・8まで下がりましたが、まだまだすばらしく心不全状態。
22日、このまま順調ならば土曜日あたり(25日)に退院予定と言われました。
24日、リハビリで負荷15Wのエルゴメーターが10分に延ばされました。運動中の脈拍96。
<2017年、3月25日>
無事に退院となりました。
帰宅途中に蕎麦屋に寄って昼食としました。病院食よりは味は感じましたが、細かい味覚を感じませんでした。もしかして私は味覚障害に陥っているかも??冷たいお蕎麦で喉越しが良かったのが救いでした。
夕食は、娘家族が加わってお好み焼きパーティをして祝ってくれました。
退院の移動距離と時間に伴う日常的動きだけで、すでにクタクタの心子さんでありました。
「自己心膜を使用した大動脈弁形成術」は、先ずは「退院」と言う形で一山を超えました。
2017年3月の備忘録です。
<2017年、3月16日>
点滴が外され、食事は全粥になりました。リハビリ室に通うことになりました。8階病棟からエレベーターに乗って1階のリハビリ室へ行くまでに息が上がらないように、理学療法士さんと歩いて行きました。健康な理学療法士さんに申し訳ないほどゆっくり歩行でした。普通の人の速度で歩くことすら出来ない状態でした。
<2017年、3月17日>
採血、心電図、レントゲン、栄養指導、リハビリ
メモ帳に数値だけが書き残してありました。単位はわかりません。
採血だけで随分と色々なことを判別できるのですね。
・BNP: 865.5 (まだまだ心不全状態まっただ中です。)
・CPK: 44 (心筋炎や心筋梗塞の心配はなさそうです。)
・CRP: 201 (体内に炎症あり、おそらく胸骨切開術からでしょう。)
<2017年、3月18日>
ホルター心電図が外されました。携帯ラジオのような記録機?が、体から離れただけでとても身軽になった感じでした。もう体には何もついていません。ちょっとウレシイ♪
本日よりシャワーOKとなりましたが、体を洗うだけで息が上がりました
たかがシャワー、されどシャワー。まだまだ日常生活には不安がいっぱい状態でありました。
<2017年、3月22~24日>
利尿剤と測尿と水分摂取規制に苦戦。
リハビリは、負荷15Wのエルゴメーターを6分。
地味だけど、病棟からリハビリ室までの往復がすでにリハビリのよう。
20日、米飯となりました。シャワー、ゆっくり動けばなんとかなりそう。
21日、採血。BNPは736・8まで下がりましたが、まだまだすばらしく心不全状態。
22日、このまま順調ならば土曜日あたり(25日)に退院予定と言われました。
24日、リハビリで負荷15Wのエルゴメーターが10分に延ばされました。運動中の脈拍96。
<2017年、3月25日>
無事に退院となりました。
帰宅途中に蕎麦屋に寄って昼食としました。病院食よりは味は感じましたが、細かい味覚を感じませんでした。もしかして私は味覚障害に陥っているかも??冷たいお蕎麦で喉越しが良かったのが救いでした。
夕食は、娘家族が加わってお好み焼きパーティをして祝ってくれました。
退院の移動距離と時間に伴う日常的動きだけで、すでにクタクタの心子さんでありました。
「自己心膜を使用した大動脈弁形成術」は、先ずは「退院」と言う形で一山を超えました。
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