丸岡城
こんにちは、心子です。
2023年4月30日、福井県にある「丸岡城」を功城しました。
久しぶりにカテゴリー「お城めぐり」への更新です。
丸岡城は、現存天守12城の一つで、松江城・姫路城・松本城・彦根城・弘前城に続き、6番目に訪れた城になります。
似たように見えるお城(天守)ですが、それぞれその時代と歴史を背負ってきた形跡を感じられ、そこに在ること自体に感激します。そして、天守内に見られる工夫や個性を知ると、そこで過ごした人々の思いも想像できて、面白さが倍増します。生きて動けるうちに、現存天守12城全てを見て回りたいと思っています。
【丸岡城・2023年4月30日来訪】
・別名:霞ヶ城、連郭式平山城、独立式望楼型 2重3階
・現存天守12城の一つ
・築城主 柴田勝豊
・築城年 1576年
・主な城主 柴田氏、本多氏、有馬氏、青山氏
織田信長の家臣で、越前一帯を領していた柴田勝家の甥である勝豊により築城されましたが、その後、勝豊は近江国長浜城へ移り、時代と共に城主が変りました。1612年、福井藩・本多成重が4万3千石で新たな城主になり、成重の父・本多重次が陣中から妻に宛てた手紙が、”一筆啓上”「火の用心 お仙なかすな 馬肥やせ」で、今では日本一短い手紙として有名になっています。
二層三階、高さ約12mの独立式望楼型天守
.jpg)
現在の鯱は木芯銅張りです。
.jpg)
福井震災で落下した石の鯱は、天守登り口の階段脇に保管されています。
.jpg)
天守台石垣は高さ約6.2mの野面積み
.jpg)
こちらが”一筆啓上”で有名になった本多親子で、入城して直ぐに目に入ります。
.jpg)
このお城の名物とも言えそうな急な階段。
.jpg)
観光客用に補助縄が取り付けられています。

ちょっとしたアスレチックス気分を味わえます。笑

見上げれば、野面積み、石落とし、狭間など、戦国時代の備えある造り、小さい天守ながらも趣きを感じられます。
.jpg)
北陸地方に残る唯一の天守「丸岡城」、厳しい寒さに負けずに生き残った強さがあるお城でした。





2023年4月30日、福井県にある「丸岡城」を功城しました。
久しぶりにカテゴリー「お城めぐり」への更新です。
丸岡城は、現存天守12城の一つで、松江城・姫路城・松本城・彦根城・弘前城に続き、6番目に訪れた城になります。
似たように見えるお城(天守)ですが、それぞれその時代と歴史を背負ってきた形跡を感じられ、そこに在ること自体に感激します。そして、天守内に見られる工夫や個性を知ると、そこで過ごした人々の思いも想像できて、面白さが倍増します。生きて動けるうちに、現存天守12城全てを見て回りたいと思っています。
【丸岡城・2023年4月30日来訪】
・別名:霞ヶ城、連郭式平山城、独立式望楼型 2重3階
・現存天守12城の一つ
・築城主 柴田勝豊
・築城年 1576年
・主な城主 柴田氏、本多氏、有馬氏、青山氏
織田信長の家臣で、越前一帯を領していた柴田勝家の甥である勝豊により築城されましたが、その後、勝豊は近江国長浜城へ移り、時代と共に城主が変りました。1612年、福井藩・本多成重が4万3千石で新たな城主になり、成重の父・本多重次が陣中から妻に宛てた手紙が、”一筆啓上”「火の用心 お仙なかすな 馬肥やせ」で、今では日本一短い手紙として有名になっています。
二層三階、高さ約12mの独立式望楼型天守
.jpg)
現在の鯱は木芯銅張りです。
.jpg)
福井震災で落下した石の鯱は、天守登り口の階段脇に保管されています。
.jpg)
天守台石垣は高さ約6.2mの野面積み
.jpg)
こちらが”一筆啓上”で有名になった本多親子で、入城して直ぐに目に入ります。
.jpg)
このお城の名物とも言えそうな急な階段。
.jpg)
観光客用に補助縄が取り付けられています。

ちょっとしたアスレチックス気分を味わえます。笑

見上げれば、野面積み、石落とし、狭間など、戦国時代の備えある造り、小さい天守ながらも趣きを感じられます。
.jpg)
北陸地方に残る唯一の天守「丸岡城」、厳しい寒さに負けずに生き残った強さがあるお城でした。



スポンサーサイト