fc2ブログ

費用(その2)

こんにちは、心子です。

2017年3月の備忘録です。

カテゴリー「弁膜症:2017年」の記事は100%備忘録です。
この辺でそろそろ一段落しようと思います。
なので最後にお金の話しです。

世の中の仕組みは、お金を支払ってそれでお仕舞いではありません。支払いに見合う何かを手に入れるからこそ価値が生まれるのだと思います。分かっていたつもりでしたが、50年以上生きてきて今さらながらそれをまた理解しました。

限度額認定証について以前にも「費用(その1)」で書きました。
今回はこの限度額認定証の有難味とその制度の力をつくづくと実感しました。

3月1日~25日までの入院期間中の保険診療費は、
包括(DPC)と出来高(手術・麻酔・リハビリなど)合計で「4,012,590円」となりました。
心子さんの家庭はごく普通のサラリーマン家庭です。とてもじゃないけどこの金額を「はいそうですか。大変お世話になりました。」と言ってポンっと現金で払うことなどできません。カード払いでも無理です。

ですが、入院前に医療費が高額になることは分かっていましたし、病院からも限度額認定証について説明を受けましたので、心子さんは予め有効期間1年間の限度額認定証を申請し、取得し、病院に提示していました。
心子さんは「区分エ」に該当していましたので、1ヵ月間の保険診療費の支払い上限は「57,600円」となります。
おかげで、退院時にカードで支払うことができ、不安は1つ解消され帰路につくことが出来ました。

費用

制度の恩恵を改めて有り難く受けることができました。
給料明細の天引き欄を見ながら、
「社会保険料高いよね~。介護保険料もよ~」などと文句言っててごめんなさい!

色んな意味で家族と医師と制度などに恵まれて、目に見えない人々の力に助けられて修繕を受けた心子さんの心臓です。
持ち前の強運と意地と根性で、生まれ変わった心臓でどこまで楽しめるか。
普通に生きること、すでにそれが挑戦であり恩返しとなることを知りました。
そして、ここに見えないお金の価値観があることも知りました。

「自己弁膜を使用した大動脈弁形成術」は、新しい術式です。
この形成された弁がどのくらい長持ちするのか、そのデータは乏しいのが現状です。
私は、90歳、100歳までなどと長生きは望んでいません。
歳を重ねれば、持病を持っていれば、必然的に制限のある生活になります。
ただ、その中で喜びを見つけ楽しく過ごしていくことは可能なことです。
私のそんな姿勢が、小さな足跡となれば幸いです。

備忘録が続き、書き上げた日付と実際の日付が異なってしまいました。
でも、心子さんはここに2017年の大きな出来事を記録できただけで満足です。
小さな丘の上に立ち、過去と言う町を見渡している気分でいます。

次回からは大動脈閉鎖不全症に関してのカテゴリーは「弁膜症:2018年」になります。
引き続き、よろしくお願いします。 

心子
スポンサーサイト



退院

こんにちは、心子です。

2017年3月の備忘録です。

<2017年、3月16日>
点滴が外され、食事は全粥になりました。リハビリ室に通うことになりました。8階病棟からエレベーターに乗って1階のリハビリ室へ行くまでに息が上がらないように、理学療法士さんと歩いて行きました。健康な理学療法士さんに申し訳ないほどゆっくり歩行でした。普通の人の速度で歩くことすら出来ない状態でした。

<2017年、3月17日>
採血、心電図、レントゲン、栄養指導、リハビリ
メモ帳に数値だけが書き残してありました。単位はわかりません。
採血だけで随分と色々なことを判別できるのですね。
・BNP: 865.5 (まだまだ心不全状態まっただ中です。)
・CPK: 44 (心筋炎や心筋梗塞の心配はなさそうです。)
・CRP: 201 (体内に炎症あり、おそらく胸骨切開術からでしょう。)

<2017年、3月18日>
ホルター心電図が外されました。携帯ラジオのような記録機?が、体から離れただけでとても身軽になった感じでした。もう体には何もついていません。ちょっとウレシイ♪
本日よりシャワーOKとなりましたが、体を洗うだけで息が上がりました
たかがシャワー、されどシャワー。まだまだ日常生活には不安がいっぱい状態でありました。

<2017年、3月22~24日>
利尿剤と測尿と水分摂取規制に苦戦。
リハビリは、負荷15Wのエルゴメーターを6分。
地味だけど、病棟からリハビリ室までの往復がすでにリハビリのよう。
20日、米飯となりました。シャワー、ゆっくり動けばなんとかなりそう。
21日、採血。BNPは736・8まで下がりましたが、まだまだすばらしく心不全状態。
22日、このまま順調ならば土曜日あたり(25日)に退院予定と言われました。
24日、リハビリで負荷15Wのエルゴメーターが10分に延ばされました。運動中の脈拍96。

<2017年、3月25日>
無事に退院となりました。

帰宅途中に蕎麦屋に寄って昼食としました。病院食よりは味は感じましたが、細かい味覚を感じませんでした。もしかして私は味覚障害に陥っているかも??冷たいお蕎麦で喉越しが良かったのが救いでした。

夕食は、娘家族が加わってお好み焼きパーティをして祝ってくれました。
退院の移動距離と時間に伴う日常的動きだけで、すでにクタクタの心子さんでありました。

自己心膜を使用した大動脈弁形成術」は、先ずは「退院」と言う形で一山を超えました。

ICUから一般病棟へ

こんにちは、心子です。

2017年3月の備忘録です。

大動脈弁閉鎖不全症になり「自己弁膜を使用した大動脈弁形成術」を受けました。
2017年3月6日の術後から3月10日までの3泊4日をICUで過ごしました。

ICU3日目後半から4日目には、朝夕の違いと1日の流れを認識することが出来るようになりました。
この時にはまだ俗に言う”生きてる喜び”などはなく、満身の倦怠感に包まれポジティブな感情など一かけらも生じていませんでした。

2017年3月10日、ICU4日目の午後に、心臓血管外科のある8階病棟の個室へ移りました。

ベッドに仰向けに寝たままICUを出て移動すると、目に入る天井だけがくるくると動く感じでした。部屋を出た辺りでICUの担当看護師から交代した病棟看護師は、愛想よく元気な声で話しかけて来ました。今までとは音も明るさも変わっていきます。
(あぁ、この世に戻るのだなぁ。下界(実際には3階から8階へ上がった/笑)へ降りて行くんだなぁ。)
到着したのは、ナースセンター隣の個室でした。

8階病棟の個室に移った翌日から、少しずつチューブ等が外され、いつの頃からかペンを持つことが出来るようになったので、思い出しながら過去日をメモし、そしてその日から退院までの日々をメモしました。

メモ1

心臓が弱ると、握力と噛む力までもが低下することを実感。
この頃にペンが持てるようになっただけも良しとしましょう。



ICUでの記憶 (その4)

こんにちは、心子です。

2017年3月の備忘録です。

大動脈弁閉鎖不全症になり「自己弁膜を使用した大動脈弁形成術」を受けました。
2017年3月6日の術後から3月10日までの3泊4日をICUで過ごしました。
ICUでの備忘録として最後にもう一つ、記憶を書き記しておきたいと思います。

相変わらず朦朧として、夢と現実との境目が分からなかった術後のICU、2017年3月7日か8日の時だったと思います。
無意識に時々つぶやいていたらしいのですが、この時もそんな状態のときでした。
人工呼吸器の気管挿管を抜いた後ということもあり、術後で力がでない上に声がかすれていました。

<愛犬との出会い、の思い出>
薄暗がりの草原のような場所、目の前を横切るように川が流れていました。
川の水面は月明かりに灯されたような静かな暗い流れ。
その川の向こう側に、1年半前に亡くなったはずの愛犬が尻尾を大きく振ってこちらを見ていました。愛犬はチョコレートラブラトールでしたから、薄闇と同じような色でしたが、艶々に光る毛並の中にいつものように瞳がキラキラして鼻が濡れて、反射して見えました。

「クリス、クリス。おいで。」
「こっちにおいで。」
「コイ、ツケ(愛犬を自分の左側に呼びおよせて座らせるコマンドです)。」
「クリス~~~」
(ああ、呼び寄せて抱きしめて、あの愛犬特有の土の匂いが混じった犬の匂いの中に顔をうずめたい。)
そんな切ない思いの中で叫んでいると(自分では大きな声で叫んだつもりでしたが、またいつもの独り言のようなつぶやきだったのでしょう)、看護師が声に気付いたようで近づいてきました。
「どうしました、○○さん。苦しいですか?どこか痛いですか?」
「”苦しい”じゃない、”クリス”です。」
「何ですか?それ?」
「犬の名前です。」
「そうですか、ワンちゃんもお家で○○さんの帰りを待ってますよ、きっと。」
「いえ、待ってません。クリスはもう死んじゃったから。」

「・・・・・。 ○○さん、今日から食事が始まります。ジュースかスープがでますよ。」

看護師さん、現実に引き戻す話題の切り替えがすごいです。

その後、私の朦朧とした世界にクリスが現れることはありませんでした。

「母ちゃん、心臓が動いているぢゃん!まだ、こちら側へ来てはダメだよ。」
「アタシは川のこちら側でみんなと楽しくやってるよ。」
「心配しないで、いつまでも待ってるからさー。」

あの時間は、
あちら側の世界からの、
クリスからの、メッセージだったのかもしれません。

ICUでの記憶(その3)

こんにちは、心子です。

2017年3月の備忘録です。

大動脈弁閉鎖不全症になり「自己弁膜を使用した大動脈弁形成術」を受けました。
2017年3月6日の術後から3月10日までの3泊4日をICUで過ごしました。
引き続き2017年3月、術後ICUでの記憶を書き残します。

<術後初めての会話、の思い出>
手術翌日だったのか、翌々日だったのか定かではありませんが、朦朧とした時間の方がまだまだ長かった時のことです。意識はうつろでしたが周囲の音や声が耳に入る時がありました。

医師や看護師達のやりとりを聞きながら、
(ん?いつ血糖値を計ったの?)
(インスリン打つの?)
(ん?透析?アタシCHDFしてるの?)
(私、中心静脈カテしてますか?)
術式を決めるにあたって本気でネット見て、読んで得た知識の中から、なんとか今の自分の状態を理解したくて一人心の中で思考を巡らせていました。
ちなみに、心子さんの職業は他病院での医療事務です。

「リハビリを始めましょう。」と、理学療法士だったのでしょうか?ベッドの脇に近づいて来た気配がしました。
「○○さーん!少し手を上げてみましょうか。」と大きな声で話しかけてきました。
持ち上げられた自分の手を見たら、爪が青白くぷっくりしていました。
(あ、あ、これがチアノーゼの爪ね。)

「次は少し横を向いてみましょう。」
全身に激痛が走りました。
「痛い、痛い、痛いっ! 無理、無理!」
この時は、自分でもびっくりするほど大きな声でした。

その理学療法士さんは、ゆっくりと私の手の指を曲げ伸ばししながら話しかけ続けます。
「では、今日はここまでにしましょう。失礼ですが○○さんは医療関係のお仕事ですか?」
「・・・ち、違う。何で?」
「いろいろとお話しされてましたから。」
「な、何も言ってないけど。」

ベッドで寝たきりの状態で朦朧としていた時に無意識のうちに思い浮かべていたコトが、か細い声となってつぶやきになっていたらしいのです。 理学療法士さんは、どのタイミングでリハビリを始めようかとそんな自分を見ていたのでしょうか。 分からない、とにかく夢と現実の境目が分からなかったのです。 

それでも、とっさに答えました。 
「・・・い、いえ、ネットでいろいろ調べただけのことです。」
何故、この回答だったのか自分でも意味不明だったのですが、その理学療法士さんは受け止めてくれたようでした。

気が付けば・・・、おや~っ!
いつの間にか私、普通に声出してこの人と会話出来てる

理学療法士さん、リハビリの力、すごいです。

ICUでの記憶(その2)

こんにちは、心子です。

2017年3月の備忘録です。

大動脈弁閉鎖不全症になり「自己弁膜を使用した大動脈弁形成術」を受けました。
2017年3月6日の術後から3月10日までの3泊4日をICUで過ごしました。
引き続き、ICUでの記憶を書き残しておきたいと思います。

<シャンプーの思い出>
手術翌日、2017年3月7日のこと。
相方さんと息子、実母がICUに様子を見に来たときに、私は麻酔から覚醒されました。
少しずつ遠くから物音が耳に入り、目を開けると、
「あっ!お母さんが目を開けた。」と息子の声が聞こえました。
「あぁ、来てくれたのね。」久しぶりに会う息子の顔を見たくて、
声のする方へ自分の顔を傾けた途端に嘔吐した私・・・。
「あっ、吐いた。」 遠のく息子の声・・・、
再びブラックアウトの世界へ。

どれくらい時間が経ったかわかりませんが次に目を開けた時には息子は帰り、相方さんだけが居たような記憶があります。本当ならそれだけでも感謝すべきなのでしょうが、息子と満足に話しが出来なかったことが残念でなりませんでした。 動けない話せない分、感情はまっすぐに湧いてきました。

次は看護師さんの大きな声で目を開けたような気がします。
「○○さーん!シャンプーしましょうー。」
(えぇ、何言っているのぉ。この状態でなんでシャンプー??)
「シャンプーしましょうかねー」
「いいです、嫌です。」なんとか声を振り絞ったけれど自分で自分の声が聞き取れない感じ。
「吐いちゃったから髪の毛がガピガピになってます。」
「苦しいから嫌です。」自分の声が変な感じ。
「枕も汚れて臭くなってるからねー」
「臭くないです、何も匂いわないから。何もしない。」苦しいし、動けないし。
「酸素マスクしてるからね、匂わないよねー。寝たままでシャンプーできるから。」
あぁ、私は今 酸素マスクしているんだ、それすら分かりませんでした。

結局、看護師さんに押し切られて嘔吐で汚れた髪を、ICUでシャンプーしていただきました。

看護力、介護力、すごいです。

ICUでの記憶 (その1)

こんにちは、心子です。

2017年3月の備忘録です。

大動脈弁閉鎖不全症になり「自己弁膜を使用した大動脈弁形成術」を受けました。
2017年3月6日の術後から3月10日までの3泊4日をICUで過ごしました。

淡々とした気持ちで手術に臨み、全身麻酔であっという間に何もない世界へ引き込まれました。麻酔の世界は不思議です、時間も感触も本当に何もないのです。そして、術後のICUでの時間は術前に比べると、それはそれは苦しく辛くもがき続けた数日間でした。

修繕前の私の心臓はポンコツではありましたが、日々の生活に苦労していた程ではありませんでしたから、私にしてみればこの苦しさは予想外の出来事とも言えます。「手術でこれこれこういう事をしますよ。」とか、「ICUには2日間位の予定です。」とか、「入院期間は3週間位です。」とか、そういう説明は存分に聞かされたりはしましたが、術後は苦しい思いをしますよ、なんて誰も言ってなかったぢゃんっ!教えてくれなかったぢゃんっ!!・・・が本音でしたね。

自動車に例えると、心臓はバッテリーでしょうか。
術後のICUでの私の体は、バッテリー切れのポンコツ車そのものでした。動くどころかエンジンすらかからず、プスプスと息をするのもやっとだったのではないでしょうか。

どんなにボロボロであってもせめて一般道を走れる車くらいにはなりたい!と思ったのは、もう少し先だったと思います。この時にはそんな意思すら湧きませんでした。今になって思えば、ポンコツ心子さんの楽しい老後に賭ける人生後半の勝負が、ここからが始まったのかもしれません。でも、こんな勝負はもうこれっきりでいいわー。

ま、とにかく手術後、ICUで過ごした修繕直後の心臓は、やっと拍動していたかのように感じました。

<ICU  2017年3月7日からの想い>
予定では、3月6日の夕方に手術を終了し、夜間に覚醒、翌朝に人工呼吸を離脱し、7日までICUの予定でした。ところが医師達も開けてびっくりな程くたびれ切った私の心臓だったそうで、結果的に4日間もICUのお世話になってしまいました。

その間、ほとんどが朦朧とした意識の中にいました。
時々、覚醒するけれどそれが夢なのか現実なのか、混沌としていて今でも判別することが出来ません。昼も夜も判らない、不思議な時間帯のなかで唯一感じるのは、恐ろしく辛い自分の体だけでした。

苦しかった、息が出来ない苦しさ、 体中に酸素が足りない苦しさ。
山登りの坂道で息が切れる、水中でもがく、それら全ての苦しさが自分の肺と心臓を押しつぶしていくような感じでした。

その朦朧とした意識の中で、相方さん、息子、娘、一人一人に謝っていたような気がします。そして、詫びながら、もう生きることに執着することを止めたいと、もう放っておいて!と本気で願っていました。もしかしたらそれを口にしていたかもしれませんが、良く覚えれいません。とにかく生きるのを止めて苦しさから解放されることだけを望んでいました。

しかし、主治医達やICUのスタッフ達は、私の望みとは反対の方向で、私を生かすことで、この地獄のような苦しさから解放してくれました。それは、進歩した医療技術だけではなく、経験と知識が豊富で技術力のある、忍耐強い優れたスタッフ達の「誠実さ」の結果であったのだと・・・、今だからそう思えます。

医師や看護師などのICUのスタッフにしてみれば、苦しむ患者と接するのは日常のことでしょう。この先、どう対応していけばこの患者は生き延びるかの手立てをすでに知っている、知識と経験がある側の人たちです。

患者である私にしてみれば初めて体験する苦しみでした。この先どうなるのか未知の世界でもがくだけです。

まるで多足類のように体中にドレーンや点滴管、リード、鼻からは酸素管などが装着され寝返りさえも出来ない姿でした。

いま在る苦しさから逃れたくて、生き続けること=苦しみの延長と思い込み、これ以上生き続けることなど望んでいないつもりの自分でした。なのに、ベッドの上で同じ体勢で寝ていることが辛くて意識のある時に「背中を上げてください。」「右向きにしてください。」などを、しばしばお願いしていた記憶があります。逆に言えばそれは、私自身の生きよう、生きたいとしていた姿勢から生じた依頼ではなかったでしょうか。 けれど、私は「苦しい、嫌だ。」を繰り返すだけのネガティブで嫌味な患者だったのです。

人の本性ってこんな時に現れるものなのかもしれませんね。

自己心膜による弁形成術

こんにちは、心子です。

2017年3月6日、手術当日です。
6:00
ヘパリンの点滴抜去。
7:00
カルベジロールとフロセミドを服用。
9:20
ストレッチャー?で手術室へ。
途中まで相方さんがストレッチャーの横を歩いてついてきてくれました。
「じゃ、行ってくるね。」と動かせる方の手を軽く動かしました、ドラマの場面みたい。

手術室へ入り、一度だけチクリと注射されたことは覚えています。そして、仰向けに寝たまま”まな板の上の鯉”状態であれこれと準備され「では麻酔始めますね。」の声を最後に深く何もない麻酔の世界へ吸い込まれていきました。

入院中のメモを寄せまとめると、手術当日の記録と記憶はこれだけです。

何も考えないように自分で自分のどこかに蓋をしていたのかもしれませんが、落ち着いた気持ちのままに流れと時間に身を置いたままに何もかもが進んでいきました。 どちらかと言えば、周囲の医療スタッフの手際や手順が良くて余計なことを考える間もなかったような気がします。また、麻酔の威力と言うか、魅力と言うか、無抵抗感の中に惹き込まれていく瞬間は意外に心地よかったです。・・・、なんて呑気なことを感じたのもここまででしたけれどね。

自ら「自己心膜を使用した大動脈弁形成術」を希望した心子さん、今になって思うと多分この日からが、実質的・体感的な挑戦者の出発地点となったと言えるのかもしれません。

入院から術前まで

こんにちは、心子です。

入院してた当時のメモ帳を頼りに、入院から手術前日までを遡って記録しておきたいと思います。

2017年2月27日(月)入院。
・入院1日目。
病棟に案内された後、相方さんと一緒にひと通りの説明を受け、彼は帰路につきました。
私は一人運ばれてきた病院の昼食をのんびりと食べて一休み、ぐるりと身の回りを見まわしました。昼食のトレーの上には、空になった器と並んで自分の名前と「心臓食」と書かれた名刺大の紙切れがポツリと残っているのが目に入りました。「心臓食」にはほとんど塩分を感じ取れない心子さんでした。
仕事上がり、風呂上りに缶ビールをシュパッ!柿ピーをつまみながら台所で食事の支度・・・、の日は再びあるのだろうか。


午後には、点滴でヘパリン(血液抗凝固薬)が始まり、自己血貯血(2回目)、採血、MRI、レントゲン撮影、心電図、ABI検査(血管年齢、動脈硬化の検査)と、てんこ盛りの術前検査でした。

・入院2日目。
正午にCT、昼食後には、エコードップラー検査(心エコー)、2時半、ICUの案内、見学と説明を受けました。
手術後は、ICUに2泊する予定だそうです。
この2日間は、まさに病院見学ツアーだったなぁ(笑)。

暇つぶし用に持参した、安部龍太郎の等伯(上下・ 文庫本 )を朝からのんびりと読み始めましたが、途中で検査に連れて行かれたり、血圧測定やら検温やらで、意外と集中して読めませんでした。気にしない、気にしない。
これからは時間は売るほどあるしね(笑)。

・2017年3月3日。
感染症予防のため、1日3回綿棒で鼻の中に塗布するバクトロン軟膏なるものを渡されました。
麻酔科外来にて、全身麻酔の説明を麻酔医より受けました。手術室看護師より、手術当日の行程説明を受けました。
準備時間を除き、手術時間は約7時間を予定していると言われ、少々びっくり。

・2017年3月5日。
午前中は、相方さんと一緒に主治医から手術の具体的な予定と説明を受け、たくさんの用紙を受け取り、病室に戻ってから二人で必要箇所に署名しました。
術前説明

相方さんはコンビニ弁当を、私はいつもの病院の「心臓食」をデイルームで一緒に食べました。
「心臓食」の味付けにすっかり慣れた自分、けっこう順応力あるなぁ~と思っていたいけど、目の前の相方さんのコンビニ弁当は懐かしい香りでやっぱり美味しそう、別世界の食物だわ。
さよなら、塩分。 さよなら、脂分。
15:00
剃毛。老化に伴い再生速度が落ちている、生きていれば夏ごろには生えそろうだろうか(笑)。
いよいよ、本格的な準備に入った感じがしてきました。
15:30
シャワー
18:00
夕食は通常通り。下剤服用、飲料水可。

翌日に手術を控えているにも関わらず、特別な緊張感もなく淡々とした気分でありました。
とりあえず、明日も何らかの形で生きているに違いないだろう。      

検査結果

こんにちは、心子です。

2017年2月20日、様々な心臓の検査を受けた総合結果は以下のようなことでした。
けっこう悪い。。。

大動脈弁閉鎖不全 II~III度
僧帽弁閉鎖不全 II~III度
三尖弁閉鎖不全 I度
EF24%

逆流を起こしているのは大動脈弁だけではありませんでした。それならばと三弁ともに形成術を希望してみました。
主治医は出来るだけその方向とするが、EF(駆出率)が24%と弱いため長時間の手術に耐えられない可能性があるとのことでした。その時には、形成術より弁置換術の方が時間的な負担が少ないので大動脈弁は生体弁にするかもしれないと言われました。

これからの予定は、2017年、2月27日(月)入院、3月6日(月)手術と早々に決まりました。

「先生、もしあと一年早く手術を受けることにしていたら、こんなに悪くならなかったのでしょうか?」
「外科医には”たら・れば”はありません。現状で頑張りましょう。」

もしかして、この揺るぎない意思を持つ主治医に出会えて、私は運が良いかもしれない。

ベッドに仰向けになり自己血貯血しながら、なんとかなるでしょ、と思う心子さんでありました。

(自己血貯血=手術時の出血に備えて自己血輸血するため、前もって自分の血液を貯血しておくこと)

経食道心エコー検査

こんにちは、心子です。

2017年2月17日、経食道心エコー検査を受けました。
「経食道心エコー」検査は初体験です。

どんな検査かというと、胃カメラの太いヤツ、しかも先端に小型超音波機器がくっついている黒く長い管を食道に突っ込み、心臓の裏側から超音波(心エコー)映像を撮り、弁や逆流の具合を調べる検査なのです。

胃カメラすら喉から入れられず、経鼻胃カメラしか体験したことがないのに、およそ1メートルはありそうな鉛筆よりも太く水道ホースよりは細い黒い管が宙吊りになっている機材を見たとたんにビビりました。
こんなモノ喉から食道に突っ込まれたら・・・、むせ返って、えづいて、窒息死しちゃうよー、って。すごいですよね、医学と医療器材の進歩の素晴らしさはこの無機質な残酷さ無しには語れない、と感じるのは私だけでしょうか。

麻酔鎮静前提の検査なので、点滴でライン確保されてはいましたが、あえて医師にお願いしました。
「先生、麻酔で眠っているうちに検査が終わるようにしてください。」って。。。
異物が体内に入ることに本能的な恐怖を感じます。

願い通りに(笑)検査は眠っているうちに終了しました。看護師に声を掛けられボ~っとしたまま目覚め、点滴を外しに検査室に戻り麻酔が切れるまで、検査室のベッドで一眠りさせていただきました。

予定通り、5時頃に会計を済ませ、相方さんが車で迎えに来てくれました。

無事に検査が終わった安堵感も手伝い、昼食抜きのお腹に空腹感が・・・。
相方さんが運転する車で途中コンビニに寄って、食べやすそうなのでカレーまんとあんまんを遅すぎる昼食代わりに。食べ物が喉を通過する際に、何だか喉に違和感があるけれど、最後にお茶で潤おして数分で完食でした。

あんまん美味い♪ 生きてるって素敵(笑)。
喉に残る検査の痕跡よりも、食欲が勝る心子さんでありました。

心臓血管外科へ

こんにちは、心子です。

2017年2月13日、紹介状とCDを持って心臓血管外科のある病院へ行きました。
この病院でこれからお世話になる主治医は、大きな声で話す明るい中年男性医師でした。

ちょっとしたきっかけで飼い犬の話しになりました。
その医師は先住犬(黒ラブ)を14歳半で亡くし、ペットロスになったので再びゴールデンレトリバーを飼い始めたそうです。この時に5か月の子犬はすでに柴犬よりも大きく育ち予想外にやんちゃなゴールデンで、家を脱走してごみ箱を荒し、セキュリティを鳴らしセコムが駆けつける騒ぎを起こしたそうです。犬が好きでハスキー犬→黒ラブ→ゴールデンと大型犬を飼い続けているとのことでした。

この医師の元気の源とチラッと見えるカリスマ性は、犬との生活にあるかもしれないなぁ~と、心の中でくすりと笑った心子さんでした。

紹介状と一緒に持参したCDを観ながらこの医師の診立ては「大動脈弁だけでなくむしろ僧房弁にも逆流がある。逆流レベルはⅠよりⅢに近いかもしれない。EFは25%。手術にはぎりぎりである。」とのことでした。
同じ検査結果の画像を見て、その読影が医師により異なることを目の当たりにした瞬間でもありました。

いずれにしても、手術は逃れられないことに変わりはなく、ここまできたらやるっきゃないでしょ、心子さん。

ということで、ざっくりとした今後の話しを聞き、今後の検査の予定決めました。
本日は採血のみ。
17日は、肺活量と心エコー、経食道心エコーの検査。
20日は、受診し、手術や入院の予定を決め、自己血貯血1回目。
3月1週目に入院と手術だそう。
トントンと予定が入る、そんなに私の心臓は悪い状態なの?
それともこの医師、形成術したいヒト?なのかしら?
そもそも外科医ってこんな感じなの?
飼い犬の話ししてたヒトとはまるで別人だわ。笑

受診や採血が終わり、11時半ごろに会計をすましてこの日は終了。
とにかく、お腹が空いたので予め調べておいた安くて美味しいランチのお店へ車でGO!
1日限定10食の海鮮丼を、頑張った自分へのご褒美としていただきました。
海鮮丼

自宅に向かう途中に、かかりつけ医のWクリニックへこれまでの経緯を伝えるために寄りました。
有休取って、お医者のはしごです、とほほ。。。

Wクリニックには、先月の心臓カテーテル検査の結果報告が届いていました。今日の病院の様子と今後の予定を伝え、ついでに花粉症のクスリを処方していただきました。W医師は、いつものようにふんふんと私の話しを気持ちよく聞いてくれました。しばらくはここにお世話になることはなくなるだろうけど、こういった気楽な関係でいられる「かかりつけ医」は生活上必須、大病院のように敷居が高くなくて良いわぁ、とつくづく思うのでした。

医療費計17950円+ランチ1580円+高速代1050円=20580円。
健康を、普通の心臓を、勝ち得るための本日の投資也~~~

費用・その1

こんにちは、心子です。

現実的な話になりますが、検査や手術を受けるにはそれなりに費用がかかります。
今日はちょっと真面目な話題になりますよー (^^)

日本には公的医療保険の制度の一つに、高額療養費制度があります。
医療費が高額になりそうな患者には、病院は入院の手続きの時に予めこの制度について説明してくれます。患者としても費用への不安や負担が減り、病院側としてもこの制度によって事前に未収額を減らせるメリットがあるからだと私は思っています。

この高額療養費制度とは、同一月(1日から月末まで)にかかった医療費の自己負担額が高額になった場合、その高額な医療費を全額支払うのではなく、一定の金額(所得により区分ア~オによる自己負担限度額)のみを患者は支払います。超えた高額分の差額は医療機関と保険者(国保、社保の運営主体)の間で清算する制度です。そのためには「限度額認定証」を取得しておく必要があります。
もちろん従来の方法である償還払いも可能です。これは患者は高額な医療費を一旦は全額支払い、その後にその領収書を添えて払い戻しの手続きを行い、数か月後に自分の口座に払い戻し分が振り込まれる仕組みです。

後から払い戻されるとは言え、患者にとっては一時的な支払は大きな負担になることには変わりありませんよね。しかも、その度に払い戻しの手続きを行うのは煩わしくもあります。そこで、医療費が高額になることが事前にわかっているのだから、あらかじめ「限度額適用認定証」を取得しておけば便利ですよ、と言う制度でもあるのでしょうね。

これは私のような高額医療を受けようとする患者にとっては、安心の切符の1つであると感じました。

そして「限度額認定証」を取得出来たら病院へ提示します。

難しいことはここまでにして、自分への備忘録としてさらに具体的にここに記録を残したいと思います。

私の限度額認定証の「適用区分」は「エ」とされました。
従って、1ヵ月分の自己負担限度額は57600円となります。
限度額認定証
領収書を見るとこんな感じです。
領収書1
実際の保険診療費負担額は64470円です。
自己限度額の57600円が表示されていますね。
差額分相当の6870円は請求されません。
食事代と病衣代は保険診療費に含まれないので利用した分加算されています。
つまり、今回の検査入院費は57600円(自己限度額)+2160円(食費)+129円(病衣料)=59889円ですよ、と言うことになりますね。

ちなみに当該月の入院費と外来費を合算して限度額とするこはできないので、入院か外来のどちらか一方に適応されます。
医療費は1ヶ月単位で計算されます。
限度額認定証の最長有効期間は1年間です。

今回申請した私の限度額認定証の有効期限は、平成29年11月30日です。
それまでに社会復帰したいと思う心子さんでありました。

心臓カテーテル検査

こんにちは、心子です。

大動脈弁閉鎖不全症が判明し、手術の決心を循環器内科の主治医に告げると、早速に検査の予定が入れられました。

検査は、2017年1月20日、2泊3日の入院で行われました。
検査の種類と内容は、冠動脈の狭窄の有無と心臓の動きを計測するための心臓カテーテル検査&血管造影検査です。

①冠動脈造影
心臓を中心とした動脈の検査です。
話すと長くなるので別の機会に詳しく触れますが、実は心子さんは 2008年に心臓にステント留置術を受けています。大動脈と冠状動脈には既に合計で4つのステントが入っています。
その元々問題があるステント付近の2か所の狭窄箇所は50%のまま変化なしでした。ちなみに、75%以上の狭窄になるとバイパス手術などの適応となるらしいです。
結果として血管には問題はなしでした。

②左室造影
左室の収縮状態、弁の閉鎖不全による逆流を調べる検査です。
まだ左心室肥大にはなってないとのことでしたが、
その結果は、逆流は前回(2008年)より増悪、レベルはⅡ?でした。

③スワン・ガンツカテーテル
静脈から右心室、肺動脈にカテーテルを入れ、右心系の圧、心拍出量を計測し、心不全の状態を調べる検査です。
その結果は、心不全は前回に比べ増悪した数値でした。

他に、採血で調べられるBNP値(心不全のマーカーの1つ)は、手術をどうしようか迷っている数か月の間に、198から319に増悪していました。この数値は心不全の可能性あり、専門医の治療が必要レベルです。

EF(収縮能、左室駆出率)は40%くらい(検査器の機能や医師の読影によりけっこう異なります)と告げられました。

以上の結果から、自分の心臓は心不全、つまり心臓のポンプ機能が低下している状態と明らかに判明したわけです。
当初の主治医の診立て通り、大動脈弁閉鎖不全症の手術に適応と認めざるを得ない結果が導き出されたわけです。
心子さん、もう逃げようがありません。今までのような中途半端な気持ちは打ち消され、手術を受けるしかないと覚悟ができました。

退院時に、分厚い紹介状と3枚のCDを受け取り、心臓血管外科のある病院へ予約を入れてもらい、次の段取りへと進むこととなりました。
心子さんの「まな板の上の鯉」への道の第一歩であります。
紹介状

紹介先の心臓外科医の先生はどんな先生だろう。
医師との信頼関係と相性が成立すれば、手術への不安と恐怖は半減するだろうなぁ。
回復が望めない手術ならお断りだが、回復が明らかな手術であれば避ける理由はないよなぁ。

良くなったら、山歩きとゴルフを再開しよう。
大型犬と散歩を楽しめる日もまた来るかもしれない。
思い続けるうちに、そんな日がすぐ来るような気になり、元々のポジティブさに拍車がかかった心子さんでありました。

決心

こんにちは、心子です。

めまいや疲れの原因が、大動脈弁閉鎖不全症であり、手術が必要と医師に言われてから本気でいろんなことを考えました。

家族、仕事、費用のことなど。
すでに子供達は大人になり、手もかからず、お金もかからないし、仕事なんて私の代わりはいくらでもいます。これらは事前に折り合いをつければ都合で乗り切れる問題でした。

心子さん自身の中で折り合いをつけなければならないことは「術式」でした。
弁置換術か形成術か、次の受診までに決心して循環器内科の担当医師に自分の意思を告げなくてはなりません。

なぜならば、かかりつけとなった循環器内科は自分の住んでいる地域医療圏内で唯一で最大の総合病院にありますが、実際に手術を行える心臓血管外科はその病院にはありません。検査は行えますが、手術となれば検査結果と紹介状を持って心臓血管外科がある別の病院へ行くしかないのです。弁置換術ならば幾つか選べますが、形成術となると限られます。

ネットで情報を集め、調べられるだけ調べて、自分自身が納得できる術式は形成術であると決心しました。
東邦大学医療センター、大橋病院 心臓血管外科の尾崎教授が中心となって全国的に広めている術式自己心膜を使用した大動脈弁形成術です。

この術式を希望した理由は、「異物を入れないから体に優しい」でした。
逆に新しい術式だけにデータは少なく「術後、形成した弁はどのくらいの年数もつのか?!」はまだ不明なままです。
ちなみに、弁置換術で人工弁を入れた場合は耐久性は長いですが血栓予防のために抗血液凝固剤を服用し続けなければなりません。生体弁の耐久性は十数年年間くらいと言われています。

どの術式を選んでも、自分の場合は再手術の必要の可能性はあるのです。
だったら最新の術式を選んで「挑戦者」になってみようと決めた心子さんでありました。

大動脈弁閉鎖不全症

こんにちは、心子です。

疲れやすさ、ふっと起きるめまいの自覚症状を感じるようになってから、2ヶ月間くらいは耳鼻科に通ったでしょうか。
過去の記憶を思い出して循環器科を受診し、検査した結果、「大動脈弁閉鎖不全症」と言う立派な病名がついた心子さんであります。

大動脈弁閉鎖不全症とは、弁膜症の1つです。心臓に4つある弁のうちの1つである大動脈弁がきちんと閉じないために、血液が逆流してしまう症状が起きるわけです。ポンプとしての役割である心臓がポンコツになってしまったのです。
(弁膜症、大動脈弁閉鎖不全症についてはこちらのサイトがよくわかります、参考までに。)

「先生、心臓病ってことは危ない病気ですよね?」
「直ぐにどうこうってわけではありませんが、無理は禁物です。」
「で、これからどうしたらいいのですか?」
「BNPとEFから診てすでに手術適用の時期かもしれません。悪くなってから手術すると予後がかんばしくないと言う報告があります。早めに心臓カテーテル検査をしましょう。」

心子さんは、心臓造影カテーテル検査は経験済みでありますので、たいして動じませんでした。
”また、あの検査かぁ~。有給をとるか・・・。” くらいの心構えでした。

「先生、手術ってどんな手術ですか?」
「一般的には弁置換術といって人口弁にする方法ですね。最近は、自分の心膜を切り取って弁にして縫い付ける形成術というのもありますよ。ここのね(と、先生は自分の胸を指さして縦に動かしました。)胸骨を切って開くから大きな傷跡ができちゃうねー。」

いえ、ワタクシ心子は傷跡についてはすでに色々とございますので、さほど気にはしません。

「先生、今も毎朝何種類かの薬を飲んでいるわけですけど、人工弁だとさらにワーファリンを飲み続けることになるんですよね?」
「そうね、人工弁だとね。でも人工弁の生体弁ならワーファリンは半年間くらいかなぁ。自己心膜の形成弁ならばワーファリンは要らないらしいね。その時には良い外科の先生を紹介しますから。先ずはカテーテル検査してからね。」

「自己心膜の形成弁って初めて聞くんですけど、保険適用の術式なんですか?」
「そうそう、最近ね適用になったらしいよ。先ずは検査してからだからさ、それまでにネットとかで術式調べてメリット、デメリットを比べてみたらいいよ。」
「そうですね、そうします。」

顔見知りで気さくな先生だからさ、こんな会話ができたけど、正直言って実はけっこう動揺した心子さんでありました。
そして、興味は”自己心膜を使用した大動脈弁形成術”に移り、それで頭の中がいっぱいになったのでありました。

いやぁ~、胸骨を切り開く手術について聞かされるとは。
その時は、さすがに手術についての心構えはできていませんでした。
自分に出来ることは・・・、ネットで調べてみなくっちゃ! でしたね。(^^;)

テーマ : 日々のつれづれ
ジャンル : 日記

BNPからの。。。

こんにちは、心子です。

2015年、白内障の術前検査で発覚したBNPの高値についてのその後です。
(BNPについてはこちらのサイトがとてもわかりやすいので、参考にしてみてください。)

「BNPが高いので、白内障の術後が一段落したら超音波や心電図などの検査をしましょう。」
循環器科の医師からそのような指示を受けました。

白内障の術後は順調でその頃は、眼の不自由さから解放されてお洒落な眼鏡にハマりました。手元が良く見える”仕事用メガネ”、遠くが良く見える”運転用メガネ”、遠近両用の”普段用メガネ”。結局は3つもメガネ作ってしまいました、ふふふ。

そして、いつも通りにほぼ毎晩の晩酌と、月に一度くらいの温泉旅行を楽しんでおりました。(^^)

2016年6月には二人目の孫が出来ました。

そんなかんだでハシャギ続けていた心子さんでしたが、2016年の秋ごろからなんだか体調が・・・。疲れやすくなり、めまいを感じるようになったのです。

めまい=耳鼻科か?と考え、先ずは耳鼻科を受診してみましたが、変化は無しでした。

そうだ!循環器科の医師から検査を受けるよう言われていたんだわ!
ふと思い出し、自覚症状が出てからようやく本気で検査を受けた心子さんなのでした。

1年間も放置したまま、眼科→循環器科→耳鼻科→循環器科へ舞い戻ったのですね(苦笑)。
採血、レントゲン、心電図、心臓超音波などの検査を受けて、
「大動脈弁閉鎖不全症」と言う立派な病名をいただく結果となったのであります。

いやぁ~、まいったなー
どうしましょ、心子さん。
プロフィール

心子(シンコ)

Author:心子(シンコ)
1960年生まれ、健康で真面目なふりして生きてます。子供2人を帝王切開、1992年に乳癌ステージIIbで手術&化学・放射線治療、2017年には、大動脈弁閉鎖不全症のため「自己心膜を使用した弁形成術」を受けました。戦国武将に劣らない傷痕だらけの身体が自慢(?笑)。残る人生、楽しむだけに費やしたい。

カレンダー
05 | 2023/06 | 07
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -
最新記事
最新コメント
カテゴリ
お気に入り1
お気に入り2
PVアクセスランキング にほんブログ村 あのね、心子さん。 - にほんブログ村
FC2カウンター